現在世界で最も有名で実力あるレフェリー、ニュージーランド協会のパディ・オブライエン氏が今季をもって正式にレフェリーを引退することを発表した。引退後はIRBのレフェリー・マネージャーとして、現在のスティーヴ・グリフィスの位置に座ることになる。グリフィスはIRBの戦略的活動マネージャーとしての役割に移行する。
オブライエン氏は現在のインヴァーカーギルからIRB本部のあるアイルランドのダブリンに移住する。キャロライン夫人と二人の息子、ダニエルとハミッシュも一緒だ。お兄さんのダニエルは今年13歳。
オブライエン氏は8月15日から彼の新しい仕事を開始する予定となっている。
「新しい役割の仕事にとても興奮している。」とオブライエン氏。「ラグビーは私にとってかけがえのないものだ。新しい仕事にも期待が膨らむばかりだ。」と、新たな希望を持ってアイルランドへの移住を決意したことを話している。
オブライエン氏のレフェリー暦は1982年から。1988年には彼の地元、インヴァーカーギルのあるサウスランドのオタゴ戦で初めての地区代表レベルの試合を経験。1992年には初のツアーチーム、ニュージーランド学生代表(NZU)対イングランドBで、また1994年には初のテストマッチとなる、W杯予選、クアラルンプールでの韓国対香港戦、その後の日本対韓国でもレフェリーを務めた。同じ年のスーパー10ではオタゴ対イースタン・プロヴィンス(現キャッツ)戦でレフェリーを務めている。翌年1995年のスーパー10では決勝のトランスヴァール対クイーンズランドをヨハネスブルクでレフェリングした。
1995年には豪州対アイルランドのテストマッチで欧州では初となるレフェリーとなり、フィジー対ウェールズ戦、フィジー対アイルランド戦も続けて笛を吹いた。
1999年および2003年W杯は、オブライエン氏のレフェリングにとって最も大きなキャリアだ。1999年のW杯初試合となったウェールズ対アルゼンチン戦を皮切りに2003年のイングランド対フランスの準決勝までW杯レフェリーの顔として、先に引退を表明している南アのアンドレ・ワトソン氏とともに勇躍した。
ニュージーランド所属レフェリーでは最多の37テスト「キャップ」。また、第1級の試合で200試合以上のレフェリング経験を持ち、これもニュージーランド記録。ニュージーランドのレフェリー・オブ・ザ・イヤーには1995年から5度輝いている。2004年にはボブ・ハウイットの著書『ホイッスル・ホワイル・ユー・ワーク』でその伝記を紹介された。
本名パトリック・デニス・オブライエン(通称パディ)。1959年7月19日インヴァーカーギル生まれの45歳。9人兄弟の5番目という大家族の家に育ち、地元インヴァーカーギルのマリスト・ブラザーズにラグビーを学んだ。その後もインヴァーカーギル一筋で地元マリスト・クラブに所属し、WTBとして活躍。スコットランドB代表などと対戦した。
彼はまた警察官でもあり、その陸上選手としてオースティン・テキサス、フェニックス、アリゾナの警察官競技大会にも出場経験がある。ハイジャンプでオースティンでは金メダル、フェニックスでは銀メダルを獲得する名手だった。
これらの経歴から、彼は常にあらゆるスポーツに対して熱心に取り組み、またレフェリーとしてそのスポーツマンとしての態度に努め、尊敬を集めた。
出典: Planet-Rugby (英文)